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2013-06-17 07:31 | カテゴリ:hyde*HYDE
AHEAD
【意味】前に、先に、将来に向かって、これから先に


この単語を聞いたとき、真っ先に浮かんだのは「GOOD LUCK MY WAY」のこの部分の歌詞だった。

この道の向こう 何が待ってるんだろう?
きっときっと答えはあるから
諦めきれない立ち止まれないんだ


いつも絶望の淵にいて、足掻き苦しみ、泣き叫んでは助けを求め、赦しを請うているようなその儚い世界に魅かれていたはずなのに、いつの間にか立ち上がって眩いばかりの光を放ち、力強い歩を進めるようになっても魅かれ続けたのは何故だったか…。
今となっては20年と言う歳月の渦の中に巻き込まれて、分からなくなってしまったけど、きっと彼の一貫する世界の表裏だったからかも知れない。

「終焉」を予感させる言葉を放ちながらも、そこに彼の本当の終わりを感じることがないのは、今、その歩みが力強いからに違いないと思っている。
いつの間にか前を向き始めた彼が、常に「その先」のことを口にするようになった。
その先の道が見えなくても、きっと道はある。明日は来る。そう教えてくれたのは他でもない絶望の淵で足掻いていた彼だった。
一つの終わりの向こうに、また新たな始まりがある。
だけど、その終わりにたどり着く前には必ずひとつの到達点がなければならない。その到達点がなければ、次の「始まり」を迎えることはできない。
その険しい道を進んだからこそ言える言葉であり、知る意味なんだろう。そう簡単に「次」は来ないのだから。


私は心のどこかで、いつ彼に終わりが来てもいいと思っている。
いや、本当は嫌だし、認めたくないものであると分かっているけど、いつも今日が最後でもいいと思いながらLIVEを観るようになった。
限りある命だからこそ、彼の人生にも終わりがあるし、私にも当然終わりが来る。
それは、人としての期限と芸術家としての期限、そして何よりボーカリストとしての期限は必ずどこかにある。また、そのひとつの活動にも期限はある。
その命の期限を自ら感じた時、その人生や活動に何も思い入れがなければそのまま受け入れるだろう。しかし、それらに全力を捧げてきたのなら、その期限の中で最大値のものを残したい、満足感や充足感を感じたいと思うのが自然なことなのだろう。
しかも、それを知ってなお「その先」を見ているのだ。

いつか、“音楽を辞めて、柵(しがらみ)のない世界へ行きたい”(*)と言った当時の彼は、現在の自分を想像しただろうか。
当時は「その先」なんて見えていなかっただろうし、「その先」があることなんて知らなかったのではないだろうか。
でも、今は確実に「その先」があることを知っているし、新たなスタートを恐れることもせず、喜んで迎え入れようとすらしている。
AHEADの歌詞の中にもそれは見て取れる箇所がある。

「Give way to just another day, I start over agein.」

私たちが彼に求めるものは作品に対しての「共感」ではない。
その作品を通して、そこに同じ色彩や風景を感じ取り共有できることこそが、何よりの至福の時なのだ。そこへ辿り着けたとき、隣にふと彼の姿を感じることができるような気がする。
その作品がどんな形であれ、私たちは進化した彼の世界を見続け、共有することができるのならそれは最大の喜びなのだろうと思う。

At world’s end hold to no regrets

まさに、この言葉の通り、悔いを残さないように。
振り返らずに明日へ向かって。










(*)ニュアンスに違いがあるかもしれません。
また、英詩の部分は聞いた感じなので、正確には違うかも知れません。
ともに細かいところはお許しを……(´._.`)ゴメンネ


あーなんか、書いてて思ったけど…再自覚してしまったけど、重くて痛い子だわ。
真剣にこんなこといつも思ってんのかって言ったら、そうでもないんだけど…そうでもないと思いたいんだけどね。ちょっと考えるとこんな感じになってしまって、どうしようもないな自分とか思う。
でも、ある種の自分の限界、期限を感じた時に何ができるか、何をするかってホントに大切だと思うのね。
何もしない、っていう選択もあるわけじゃない?
現状維持っていう“何もしない”のと、何も考えてない“何もしない”のと違うし、全て受け入れる“何もしない”のも、全部“何もしない”選択だけど、全部意味が違う。
だけど、そこをあえて“やり遂げる”っていう選択をするっていうことは、実はすごく難しいことだと思うの。普通なら期限を知ったら“何もしない”の中での選択か、“何ができるんだろう”っていう中での選択だと思うの。
やっぱり、そう思うと険しい道を歩き続けたからこそ言える言葉なんだろうと思う。
私自身が今、何かの期限を知ってそう言えることって何もないもの。
一体、どのくらい傷ついてその険しい荊の道を歩き続けたら、そんな言葉が出てくるんだろう。

その先に待ち受けている世界が、どうか彼にとって今までの傷が癒されるものでありますように†
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