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2013-06-08 00:00 | カテゴリ:hyde*HYDE
書くべきなのか、書かざるべきなのか悩んだあげく書いて、結局すべては書ききれなかった。
なんでって、どこまで触れてもいいことなのか、どこまで書いていいことなのか……、書いたら書いたで支離滅裂だし。消して書いて消して書いて消して書いてわけわかんなくなったけど、何かしら残したかったので、残します。

どうか、全て私観ですので、どうか温かいお心でお読みください。












神様は彼の一番欲しかったものを、一番望んだものを、それも彼にとって大切なものと知りながら、彼には与えなかったんだと思っていた。
だけど、今こうして思えば、神様は悪戯で与えなかったのではなく、彼だからこそ与えなかったのだろう。

“鮮やか”、“色彩”……私たちはそれをものや色に対して、風景に対して、主に目に見えるものに対して使っているけど、彼はそれだけじゃない。目に見えないもの――、心の揺れやその波状、波紋や感情にも鮮やかさを感じているんだろう。その、命の部分でそれを感じているのではないか。今回、改めてそう思わされた。
思えば、彼は音を通して私たちに鮮やかな色彩や鮮やかな風景を見せてくれる。十分すぎるほど、的確に。そして、新鮮に見せてくれる。私たちが気付かない微妙な色彩までを気付かせてくれたのは、他でもない彼自身なのだ。こんなにも世の中は鮮やかで、華やかなものなのだと彼は自分の身を持って知るよりも先に私たちに教えてくれていたのだ。

そもそも、色彩とは何なのだろう。
色については2つの見解がある。まるっとさくっとざっくり物理学的に言えば、“物体に入射する光の波長が観測者の方向へ反射する際に、その物体に応じた特定の波長のみが反射され、それ以外は吸収されるという現象である。観測者には反射された光のみが届くため、その波長に基いて判断される色が、物の色として認識されることになる。また、光に色と言う性質はなく、光を吸収した器官が色を作りだしているのである。”
さらに、まるっとさくっとざっくり生物学的に言えば、“網膜内にある3種類の錐体細胞が吸収する可視光線の割合によって色の感覚を生む。これらの錐体細胞は、それぞれ長波長(L錐体・赤)・中波長(M錐体・緑)・短波長(S錐体・青)に最も反応するオプシンタンパク質を含む。錐体の3種類は、そのまま3種の波長特性を構成する元となるため L, M, S の各錐体を直接に赤・緑・青でなぞらえることもある。”

こうすると一見、私たちは常に同じ色を共有しているように思えるが、実は色覚に問題がなくても同じ色を共有しているとは限らない。なぜならば、他者の色知覚を経験する手段は存在しないため、同一の色彩を共有することは不可能なことなのである。
もし、私とあなたが“赤”という色を見て、“赤である”と二人が答えたとしても、全く同じ色を知覚しているとは限らず、またそれを確認する方法がないのだ。事実、先日2種類の布地のサンプル帳を見ていた私がダンナに、「この赤とこの赤って同じだよね?」と言うと片方のサンプル帳を指して「こっちの赤のほうが暗い」と言ったのである。もしかしたら、見ている角度の違いもあるのかも知れないが、確実な色の共有はできていないということになる。

さらに言えば、「虹」は本当に7色なのだろうか。
虹とは、まるっとさくっとざっくり言うと空気中の水滴が太陽光によって、反射・屈折をするとき、その水滴がプリズムの役割を果たすことによって太陽光が分解され、引き起こされる大気光学現象である。つまり、ただの気象現象なのである。
それをなぜ、私達は7色だというのだろう。
それは、ニュートンの虹研究に由来する学校教育に影響されるものであると言えるが、「7」という数字がキリスト教にとって神聖な数字だと考えられていたからだという説もある。
しかし、日本の沖縄では色ではなく、明色・暗色とかつては捉えられていた。古くマヤ族では黒・白・赤・黄・青(青と緑を区別しない)のように「黒」が加えられる場合もある。
本来ならば、はっきりと見える色と色の間にある色はプリズム現象で、常に変化しつづけているのにも関わらず、そういった認識があるのには、虹の見え方は本来の色、色彩よりもその国の文化や民族の違いなどによってかなり左右されていることになるのだ。

だとしたら、私たちに見えている色彩も風景もなにが正しくて、なにが間違っているのかなんて簡単に計り知れるものではないのではないだろうか。
オランダ出身の後期印象派画家・フィンセント・ファン・ゴッホをご存じだろうか。非常に独創的な色遣いが特徴的な絵画が多い印象の画家である。その中でも、「ひまわり」は大変有名な作品であり、レプリカや印刷された作品は目にすることも多いだろう。
例えば「星月夜」、「夜のカフェテラス」といった作品を見たことはあるだろうか。
一見するとあまりぱっとしない暗色が目立つ色遣いの作品なのであるが、これを1型色覚(赤系統~緑系統の色弁別が困難)の人が見ると非常に鮮やかな絵画に見えるのだという。「星月夜」では夜空に月や星が瞬き、「夜のカフェテラス」では華やかな夜の情景が浮かび上がるのだそうだ。真否の程はゴッホが亡くなってしまっていることからも明らかではないが、彼にも色覚異常があったのではないかという説がある。だから、一見暗色の目立つような作品も、実はとても華やかな色彩の作品ではなかったのかという人がいるのも事実なのである。

色彩の共有も、虹の見え方も、絵画の見え方も千差万別。どれとして私たちが同じものを見ることが出来ない世界で、何を信じて歩けばいいのか。
それこそ、最終的に神様が、目に見えるもの全てが真実ではない。心に映るその色彩こそが真実なのだと言ってるような気さえする。だからこそ神様は彼に完璧な色彩を与えなかったんだろう。世の全てのものをありのままに彼に知らせるために。真と偽とを見紛うことのないように。
特に、自分自身の感性を作品として創り上げる彼だからこそ、彼自身が作品を創り上げる過程で何にも惑わされることなく自由な色遣いができることこそが何よりの強みなのだ。その結果、私たちの心には、何よりも美しい色彩と風景が映りこみ、それに伴う空気感が心を揺さぶるのだろう。
彼の歌や作品にどんな演出もいらないのは、すでにそこに全ての風景が創り上げられているから。そして、何よりも自然事象そのものが演出になるのだ。
雨も星も空も風もすべて彼の味方になる。


こんなにも美しく輝く世界はあなたの心の中から生まれている。

だから、私たちはいつでもあなたの世界に魅かれるのだろう。

これからも、ずっと。










願わくば、
世界の色彩を知ってしまった今、これからも今までと変わらずに、その心に写し出された色彩を何よりも大切にして欲しい。
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