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2012-11-17 12:40 | カテゴリ:hyde*HYDE
サタニック


彼の一番近くにいたであろう、おそらく彼の一番の理解者が彼を表した言葉。



なるほど。
確かにそうかも知れない。
今となっては年齢を重ねたり、色々な経験をしたことで立ち回り方が大人になって多少のことでは動じなかったり妥協できたりすることもあるのかも知れない。つまり、自分の周囲を見計らうためにある程度の諦めは範疇にある。
それでも今の自分が生きていける術を彼はこの数十年で手に入れたと思っている。
自分の経験した痛みや傷があるからこそ、彼を取り囲むすべての人に対してどこか悟りを開いたような慈悲深さも併せ持つようになったのかも知れない。
だけど、当時の彼は自分に対して本当に真っ白な天使でいたかったのかも知れない。
彼がしてきたことも、しようとすることも全ては正義ではないし、そこに留まろうともしてない。
けれど、自分の“創造”という欲求に対しては、きっと真っ白でいたかったような気がしている。あくまで全ては想像。
ただし、彼の理解者が彼を表したように創造されるものも彼自身もサタニック。
当時でもそこに辿り着くまでに、彼はすでに自分の人生を変えなければいけなかった苦難にも出会っているし、それまでにも心に闇を持たなければならないような事柄に出会っていたからこそ、当時の彼を形成した要素の表現。
苦悩と葛藤と闇。
当時の彼はすべてを常に持っていて、その闇はかなり深かったんじゃないかと想像できる。多分、これも想像の範疇を越えないけれど、自分に課せられた運命を全て受け入れられてはいなかったと思う。なぜ、自分なのかという問いはまだあったんじゃないだろうか。
現在の彼の闇は闇というより"雲"になって来てるような気すらする。
その行動や言葉の端々に今でも鳥籠を持って彷徨っているような、心の闇を垣間見せることがあるけれど、当時の彼には何をどうやっても解決できなかったことも、今の彼ならどうにかしようと思えばどうにでも解決できるはずなのに、周囲への配慮を優先するあまりに実行できないでいるところを見ると闇というよりは雲。
当時、そのサタニックな彼が生み出すものは、彼の容姿によって浄化されて表現されていたようにも思える。それはもしかしたら今でもそうなのかも知れない。慈悲深い全てを包み込むような穏やかな容姿が、その雲ですら浄化してしまっている気がしてならない。
当時の彼と現在の彼の違いは、その作品を持って生きる術を知っているかいないか…。そこにあるような気がしてならない。そのためにできる妥協とできない妥協を知っているかいないか。


創造。
モノを創りだす者にとって、何かを表現する者にとって、その原動力の全ては自分の苦悩と葛藤と闇だと思っている。
いい作品を創りだす芸術家は幸せにはなれない。
比較する芸術家の年代がいささかクラシックすぎてどうにもならないが、いや近代と言われる時代の芸術家、作家と言われる素晴らしい作品を残した人々の生涯で“幸せ”だった人物は誰一人いない。
そういう意味ではすでに彼は数々の幸せを手にしているし、自らもそう言ってる。
幸せを手に入れた芸術家はいい作品を残せない。
なぜならば、作品を生みだすために、創造するための原動力である苦悩や葛藤、闇を手放してしまっているからだ。そう言う意味で言えば、彼自身はまだ苦悩も葛藤も持っている。闇は……。
近年の彼に見る作品の推移に一抹の不安を覚えないわけではない。闇が薄らぐことによって創造することが難しくなっているんじゃないのか、そう思わざる得ないこともある。
一番の不安を覚えたのは、あの最後の作品。
内容は幸せなことだけではないけど、未来に夢を託すような柔らかな作品に惚れ惚れとしながらも不安を感じずにはいられなかった。
モノを創りだす者にとって怖いのはその才能の枯渇。
おそらく創造する者の全てが感じることがあるはずの危機感。
その一つの素晴らしいと言われる作品を生み出せるのならば、そのための代償として、一般社会における“幸せ”を手放しても構わない。
彼自身がそう思っているかは別として、過去の芸術家は“素晴らしい作品(あくまでも対自分比)”を残すために一般社会における“幸せ”を犠牲にしてきたと言っても過言ではないはずだ。
幸せの基準はその人様々であろうが、生活、恋愛、経済、対人、環境、待遇、障害、精神…過去の芸術家はそれらの複数を幸せとは言えない境遇にさらされていた。生活や経済に恵まれない者、生まれ育った環境が不遇の者、障害を持つ者、精神に異常をきたす者、愛に恵まれない者…。
そう考えると、彼の場合絶対的に恵まれていないのは愛だと思ってる。
確かに多くの人に愛され、慕われ、どこが恵まれていないんだと一見思いがちだが、彼の過去、そして作品を見返したとき、そしてそれは現在進行形でも見つけ出せる。
多くの人に愛される彼は、一人の人の愛を完全に手に入れることはできていない。
少し言葉に語弊があるかも知れないが、間違ってはいないだろう。
彼が生まれながらに背負わなければならなかったものと、不遇の少年時代、そして青年期の絶望と葛藤。それらと引き換えに彼が手にしたもの。彼が手放したもの。


彼には幸せでいて欲しいと思っている。
今まで苦しんできた分も穏やかにいて欲しい。
穏やかに笑うその笑顔が大好きだから。


例えば、

作品を生みだせなくなったら、その作品の命と引き換えるものがなくなってしまったら。



やはり、絶望の淵で苦悩し、葛藤し、もがき苦しむ彼を望んでしまう。
神に赦しを乞い、叫び、泣く彼を望んでしまう。

彼がこんなにも日本の季節や風景、情景を美しく描き上げて、そのかけがえのない愛に想いを馳せるようにいつまでも大事に思う心は、その絶望の淵でもがき苦しんだからこそ創造しえた作品だと思うから。
それがたとえ、叶わない思いだとしても…。





できることならば、芸術家として幸せであったとその歴史に名を刻んでほしい。



彼の作品と彼を愛するがゆえに歪む愛。





どうか、未来の歴史書に書かれた彼の人生が輝いていますように†















というわけで、ゆめさんのコメント見たら書きたくなって書いちゃいました。完全にゆめさんに対する私信だわww

価値観や感じ方は人それぞれなので、なんとも言えませんが、常々、自分で彼に対する愛は偏ってる、歪んでると公言している通りでございます。察してやってくださいませ。


ゆめさんから“一瞬一瞬の輝きの中にひとつの生命は生まれ瞬くその代償”へのアンサーアーティクル。
二人の思いはほぼ同じ。
芸術家としての彼を思いながら、その幸せと代償のお話。
あくまでも個人的な価値観と愛するがゆえに歪む愛でできています。
そして、いつの時代も私達が願うのは一貫して彼の幸せです。それを踏まえた上で咀嚼して頂くとありがたいです。

L'Arlabo 【私を守って、空のように この扉の向こう側で】









続きより11月13日、14日分、拍手コメントお礼です↓

*ドラやき さん*

こちらこそ幕張ではありがとうございました。
まさかあんなところで出会うとは…。
これはもう、運命ですね。

ところで、水銀燈*ハイ子様の衝撃凄かったですね!
その後発売の雑誌には素晴らしいハイ子様はいらっしゃいましたか?
もし、いらっしゃったらご一報ください。(様子見て買おうかと…)

特殊メイク、お受けしますよ。
お部屋でメイクしますのでぜひ、お申し付けください。



*R さん*

あはは。ゴミに出したんですね。
大丈夫ですよ。
私なんて、らるくドン底期(対自分比)に“Ciel”時代の会報をまるっとゴミに出しましたから。
写真集の箱くらいなんてことないです。
今は自分の中でらるくさん大好き期なので、ゴミには出せませんがまたドン底期が訪れたら何をしでかすか分かりません。
長いらるくさんとの人生は山あり谷ありですよ!



*ゆめ さん*

でしょ!
なぜにああいう発送の仕方をするのか、なんの仕打ちかと思って泣いたよね。
まぁ、ただの段ボールなんだけど、“らるく”って書いてあるからね!

中身もそうでしょ。
あんなにいい被写体がいるのになぜ活かしきれないのか!
本文のほうではかなり控えめに書いたんだけど、ホントはびっくりしたくらいのクオリティの低さ。
カメラマンの腕を疑ったよ。
自分の記憶の中のシーンのほうがかなりクオリティ高いしね( ̄ー ̄)ニヤリッ
いや、らるくだからこそ常に上を見てしまうんだよね。妥協ができない。
だからと言ってソロだから妥協できるかっていったらそうじゃないんだけど、らるくさんならこの枠を越えられるでしょって思ってしまう。
もしかしたら、できるものがないと思ってるのが錯覚なのかとも思うんだけど、らるくさんだからこそその錯覚を具現化しないとダメなんだと思うんだよね。
それともらるくさんについて行ける人がいないのか。
ラルクオリティに追いついてっ!!!

あぁ!Blame!!
これはゆんも好き。
そう言えば、天使くんは(*°ー°)曲の中で“砂時計”が好きなんだけど、(天∀使)バナナの奇跡って言ってた。(大きい声では言えないけど…)余談。
でも、やっぱりけんちゃんの書いた曲にハイドがのせる心に迫る詩の曲が聴きたいんだよね。
それでもその想いを表しきれなくて、泣くようなけんちゃんのギターも聴きたい。
ぐるっとまわって結局のところ、そこに辿り着いてしまうな。
だから、べべが働いてる間にけんちゃんに曲を書いてほしい(´;ω;`)

ということでこっから先の内容に関しては、堂々と本文に書いてしまいました。
ちょっと思いが溢れた。ゆんもゆめさんと一回、サシでじっくり話しないとダメな気がしてきた。
コメント長くても、出しゃばったと思ってもなんでも大丈夫。
コメント残してくれること自体が嬉しいので大歓迎です。

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