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2014-06-30 00:06 | カテゴリ:日常
今日は、気持ちのいい話ではありませんので、これより下へは自己責任でお願いいたします。





























6月14日、13時10分 父が天に召されました。

戸籍上、生物学的上には父親ですが、長い間、事実上の母子家庭だったので、父親とのこれといった思い出は何もありません。
だから、母親から父親が危篤だと知らされた時にも特に何の感情もありませんでした。
実際、父親と会ったのも3~4年ぶりでしたし。
何かあるとしたら、万が一の時には葬儀には出て欲しいと言われていたので、めんどくさいことはイヤだなというのが本音。
随分、薄情なことを言うなと思うかも知れませんが、本当に夫としても父親としても甲斐性のない人だった…としか言いようがないのです。
ただ、父親の人生を考えると、そうなっても仕方のない要素が幼い頃からあったんですよね。
もしかしたら、父親は私や弟にどう、接していいのか分からなかったのかも知れません。
母親の愛も知らずに、父親も知らずに育ち、あまり家庭にも恵まれず育った父親…。
でも、当時の私達にはそんな父親の側面を知ることなんてできませんでした。

私は、人が生まれてくるには必ず意味があるとずっと信じてます。だって、生まれてくることがもうすでに奇跡なんでしょ。だとしたら、そこには意味がなかったら、なんのために生きているのか…。
最大限の皮肉を込めて書いたはずの喪主挨拶は、皮肉なんかじゃなく、父親が家庭を持ってからずっと追いかけ続けたテーマだったんじゃないかと、今は思います。
その一文を少し。

私は、人と人の出会いにはなにがしかの意味があり、人として何らかの役割を担ってこの世に生を受け、その役割を全うしてこの世を去るのだと信じています。父の役割はなんだったのだろうと、そのことに想いを馳せるとき、それは間違いなく私達に「家族とはどうあるべきか」ということを自らの人生を以って知らしめる役割を担っていたのだと確信しています。私達は父の存在により、家族のあるべき姿をそれぞれが考え、家族の大切さに気付き、絆を深めてきたのだと思っています。当たり前のことに気付かないことが多くなっているこの時代に、当たり前のことに立ち止まり、考える時間を与えてくれた父に最大限の感謝を捧げます。

最後のお別れの時間に、母親が父親の目頭が濡れていることに気付きました。
「まさか涙じゃないよね…」という母親だったけど、確かに、亡くなった直後よりも表情が和らいでいるような気がしたんだよね。それが、涙だとしてもおかしくないくらいに。

葬儀が終わって、父親の人生は幸せだったんだろうかと思うことも…。

そんなある日、今まで父親の夢なんてこれっぽっちも見たことなかったのに、夢を見たんだよね。
よく晴れた日、多分、遊び仲間だろう人と一緒に並んで実家近くで笑ってる父親の夢。そのあと、鳥居みたいなところをくぐって歩いていく父親の姿を自分が見てるんだけど、失ったはずの左足には義足でもついてるのか、杖をつきながらゆっくりと歩いて行った。
そのあと、そんな夢を見て自分でもびっくりしたのか、飛び起きたんだよね。

父親の人生は幸せだったんだろうか…。
私にはこの答えを知ることはできないけど、あの夢で笑ってる父親がいたことを思うと、なにかひとつくらいは幸せなことがあったんじゃないかな…と思いたい。

それから、やっぱり父親の役目は「家族の大切さ」を私達に身を以って教えたんだろうと思う。








ありがとう。

ばいばい。
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