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2016-04-15 23:13 | カテゴリ:日常
九州地方のみなさん、特に熊本ご在住のみなさん、大変な時をお過ごしの事とお察し申し上げます。一日も早く、心安らかな日常が戻りますことをお祈り申し上げます。何もできなくてごめんなさい。



そして、久しぶりの更新なのに、気持ちいい記事じゃなくてごめんなさい( ´>ω<)人 

でもね、今回の休職から転職、不当解雇に至るまでの気持ちを吐き出したかったので、許してください。法人等、特定されないような書き方をしているので、意味不明かも知れませんが、付き合ってやってもいいよ!っていう懐の広い方だけ読んでやってください。 

今は、だいぶ気持ちも落ち着き、前向きに進もうとは思ってますが、毎日そううまくはいかず…です。
あたたかいお心で、見守ってくださると嬉しいです。

よろしくお願いいたします。











 『鬱屈と言葉という名の凶器』 

だんだんと心を蝕んだのは、「こころない言葉」ではなく「何気ない言葉」。おそらく、その言葉を発した本人はさして何の意図もなく、もちろん傷つけるつもりもなく、半ば当然のことのように発したのだろう。でも、その「何気ない言葉」が少しずつ、少しずつ蓄積されて、やがて重荷になり、圧迫され、鎖で雁字搦めにされるかのように動けなくなった。 
それは、特定の誰かの言葉であると同時に、不特定多数の誰かでもあった。
それに拍車をかけたのは、特定の誰かから常に同じ言葉が繰り返されることで、だんだんと自分に対する不信がつのり自信がなくなっていった。自分が何をしたいのか、それをやることに何の意味があるのか、目的を見い出せなくなり、ついには自分を見失った。自信を失い、自分を見失ったあとは、自分で考えることも、決断することも出来なくなっていたように思う。

10数年、培ってきた自信はまるで雪崩のように一気に崩れさり、残骸しか残らなかった。まさに体がバラバラになり、思考がバラバラになった瓦礫だった。
瓦礫と化した自分は、自分自身だけでなく、これまでの自信も全て失ってしまい、言葉を発信することすら出来なくなっていた。
最初は、言葉を発することに躊躇い、そのうちに言葉を発することが出来なくなったのだ。
元々、話好きではないし、自分から話題にすることも少ない。でも、それとは別に「言葉が少ない」と必要以上に繰り返され煽られることで、余計に何でもないことも言葉で伝えることが苦しくなり、やがて伝えるべき的確な言葉が浮かばなくなり、言葉を発することが出来なくなっていた。
気づいたときには、何気ない雑談でさえ苦痛だった。 

そのときはすでに、自分の価値、自分の居場所、生きている意味が分からなくなっていた。完全に人としての道で迷子だったのだ。
ふと顔を上げてみれば、まわりには誰もいない。まるで濃霧の中に取り残されていて、一歩先に何があるのか分からずに、足を踏み出すことが出来ないような状態だった。そこで声を上げて、助けを求められたらよかったのだろう。しかし、言葉を発することが出来なくなっていた自分には、それが出来なかった。家族にすら、助けを求めることが出来なかった。

まるで孤独だった。 

濃霧の中に取り残されている…そう気づいた頃から、脳内での自傷行為が始まった。
それは、ありとあらゆる「自問自答」である。
当然ながら答えなど出るはずがない。誰かに答えを求めることが出来るわけもなく、誰かに話しかけることすら神経質になった。そのうちに何でもないようなことも問いかけられなくなり、話すことを避けるようになっていた。誰かにお願いすればいいようなことも、話すことが苦痛になったことで、自分でなんとかすればいいと自分だけで処理しようとしていた。 
本来なら、気にもとめない孤独は形を変えた。
「周囲から取り残された。孤独にされた。」という、まるで歪んだ感情なのだ。それだけではない。他人の目が異常に気になるようになり、全てが「自分の敵」のように見えてしまう。元々、余り他人を信用していなかったことも災いして、対人関係の悪化に拍車がかかった。仲間だという意識は薄れ、家族の繋がりも細い糸のように感じていたのだ。

 身体的にも自傷行為は止められず、皮膚を傷付けた。「痛い」という痛覚はあるし、これ以上やったらダメだと分かっているのに止められない。脳内での自問自答もそうだが、皮膚を傷付けるのも無意識だった。そして、それは一日中、延々と無意識の中で繰り返されるのだ。 
身体的な症状が出始めたのは、それから間もなくだったように思う。職場にいるだけなのに、異常なほど心拍数が上がる。誰かと話すだけで、その心拍数は更に上昇し、嫌な汗が止まらなかった。
特に酷かったのは、特定の誰かに近づいたり、視線を合わせたり、話をするだけで手先が冷たくなり、震えが止まらなくなった。さらには、元々ある偏頭痛が毎日のように続き、自分の機動力を下げる。
どんなに痛み止めに頼っても、痛みは改善されない。結果的に必要以上に痛み止めに頼っていた。完全なる過剰摂取の状態。過剰摂取することで、処方されている薬は当然足りなくなり、近くの病院で「なくした」と言っては、処方してもらっていた。また、理由も分からずに、毎日毎日、続く微熱。常に体は「痛い」「怠い」「重い」状態。夜もまともに寝られず、1時間毎に目覚め、2時以降は決まって眠れなかった。1日の睡眠時間は、僅か数時間。
そして、突然聞こえがおかしくなった左耳。まるで、水の中にいるような感覚で、音がぼやけて聞こえた。最初はすぐに治るだろうと軽く受け止めていたが、何日経っても治らず、うっかりすれば僅か数m先の目の前にいる人物との会話も怪しいくらいに、明らかに聞こえが悪くなっていた。はっきりと自覚したのは、テレビの音量だった。今まで聞こえていたはずの音量では聞こえず、気づけば音量を上げていた。耳鼻科で検査すると、やはり右耳とは聞こえている領域が違いすぎた。突発性難聴を発症したのだ。
右耳も決していいわけではない。電話などは必ず左耳で聞くようにしていたくらい、ボーダーライン上の数値なのだ。それ故に左耳が全ての音を拾ってきた。こんな状況で、左耳まで音を拾えなくなるなんて想像することすら恐ろしい。
色々な不具合が偶然なのか必然なのか重なり合い、体も心もまさに、バラバラの瓦礫だったように思う。全てがうまくいかなかった。 

仕事が嫌なわけじゃないし、やりたいこともある。だけど、機動力の低下した体を引き摺って仕事をしても、思うようには動けないし、すでに低下した思考回路を再起動することもできない。そんな中で、サボっているとかやる気がないとか、そう見られていることに耐えられなかった。いや、そんなことを思われているかどうかが問題ではなく、そう思われているという考えに囚われていたのだ。

 以前、保育園に勤めた10数年間の私を知る人には、今の私の状態が奇異に映ったことだろう。複数担任のクラス責任者まで務め、作品展の指揮を取った。運動会や発表会での遊戯やオペレッタ等の演技にも好評を得た。毎日、笑いの絶えないクラスだった。
しかし、今はその時の自分とは似ても似つかないほど、あの頃、元気に笑っていたその陰もなく、覇気も笑顔も技術も何もかもなくしていた。
それが、周囲の評価の全てだった。

あの時、あんなに頑張ったのに、理解もされず、認められることすらなく、すでに空っぽだった。私はどこへ向かっていたのだろう。 

 「鬱です」

 その一言を誰にも伝えられなかった。
空っぽになっても、仕事を失えない。家族を失えない。もう、自分では何も決断できないのに、考えるのはそんなことばかり。自分を救う術もなかった。
人との関係を極力断ち切り、籠ることが精一杯だった。
 しかし、いつしか言動がおかしいことに回りは気付き始める。意を決して話し出せば、堰を切ったように涙と共にこれまでの思いは止まることなく溢れた。
ラクをしているわけじゃない、体が思うように動かない、思考力が低下している、決断することができない、意見を言いたくても言葉が出てこない。自分なりに一生懸命やろうと思ってる。以前のように笑って、元気に仕事がしたい。だけど、周囲からはサボってる、ラクをしてる、怠けてる…そうにしか捉えて貰えない。溝を埋めたいのに、どんどんとその溝が深まり、もう、どうしていいか分からない。
自分がどこにいるのかさえ分からない。

 「私を返して!」

 誰がこの言葉を受け止めてくれると言うのだろう。
 誰がこの言うことの効かない体を受け止めてくれると言うのだろう。 
誰がこの痛みを理解してくれると言うのだろう。 
誰が笑顔を失くした意味を理解してくれると言うのだろう。 

そう、誰もいない。他人には他人の痛みも苦しみも理解できないのだ。それは、自分にしか分からないことだから。だからこそ、ぐるぐると黒い濃霧が自分を取り巻き、全ての言葉が鋭利に突き刺さった。一度突き刺さったその言葉は、心の奥底まで達し、いつまでも自分を苦しめるだけの材料でしかなかったのだ。
もう十分。これ以上、何をすればいいと言うのだろう。
もう何も考えられない。明日が来ることすら、想像できなかった。 

見上げるのは、無機質な何もない天井。
今日もまた、生きている。それは、喜びでも安堵でもなく、「絶望」そのものだった。何もしなくても、痛みに疼く傷。体と心が離れ離れになったまま、また朝がやって来た。
どうしたら、自分を消せるのだろう。なぜ、今日もまだ生きているのだろう。消えることができたなら、どんなにラクだっただろうか…。だけどそれすら許されない。こんなにバラバラと瓦礫にまでなった心を抱えて、どこへ向かえばいいと言うのか…。

どんなに時間が経っても、自分の行く道は見えない。それでも、落ち着いていられる時間は次第に増えた。 

なんとか躓きながらも、うろうろと出口を求めて濃霧の中を彷徨い、どこからか光が漏れているような気配を感じ、誰かが自分を呼ぶ声が聞こえ、恐る恐る近づいて行こうとする自分がいた。
まだ、自分を呼んでくれる人がいる…もしかしたら、もう少し頑張れるのかも知れない…。環境が変わったら、この濃霧から抜け出せるのかも知れない…。
そんな僅かな期待が頭を擡げ始めた時だった。 

しかし、それも僅か1ヵ月足らずで踏み躙られることになる。ようやく僅かな光を求め、立ち上がろうとした矢先のことだった。まるで、春を感じて地中からようやく芽吹いた若葉を容赦なく、無残に踏みつけ、毟り取るような行為にさえ感じられた。数年前の見解の相違が生み出した憎悪は形を変え、攻撃の道具となり、私に死刑宣告をする死神と化したのだ。人間という道中で迷子になり、濃霧に巻かれ、踏み出すことを躊躇うほどに傷ついた。だが、そこから這い上がろうと必死にもがき、ようやく濃霧の先にある崖の上に片手を掛けたその手を、容赦なく踏み付け、何の躊躇いもなく蹴落とした。 
声を挙げる間もない、一瞬の出来事。
本来なら、黒い濃霧の中から導き出す役目を担わなくてはならないはずの導師は、巨大な鎌を構えた死神と化して再び眼前に現れたのだ。他者の罪も全て背負い、自分が退くことがこの道の最良だとした判断は、無碍に扱われた。導師の両眼が本物ではなかった証を、再び認識することになったのだ。そして、それを止める鵜飼もいなかった。 
ようやく光を感じられる場所へ、意を決して辿り着こうと歩を進めたばかりだったのに。違う認識は時を経ても生命を奪う。絶望は、再び不敵な笑みを浮かべて後ろに立ち、その両手で突き落とされた。そして、また黒い濃霧の中に押し戻された。 

「言葉」というものが、こんなにも鋭利な凶器であるとは思わなかった。今もあの時も…。
今は、ただただ「言葉」を発することが怖い。どんなふうに捉えられるのだろうかと考えるだけで、「言葉」は自分の中に飲み込まれ、やがて掠れて消えてしまう。
それが今も続き、ただひたすらに沈黙を守ることしかできない。

そして、日常生活の中の些細な「言葉」が突き刺さる。何でもないような、何気ない日常会話ですら…である。僅かな「言葉」の端が、自分を責め立てるように感じてしまうのだ。

いつまでこの状態が続くのか…。
「言葉」の呪縛から抜け出せる日は来るのだろうか。 

春を感じて芽吹く若葉を、眩しく見つめる日は来るのだろうか。 

 今もまだ、黒い濃霧に包まれた中に私はいる。 

そして、引き摺る十字架には無数の人々が群がり、私を責め立てるように何かを叫んでいる。

歪んだ声色で…。
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