-------- --:-- | カテゴリ:スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2016-04-15 23:13 | カテゴリ:日常
九州地方のみなさん、特に熊本ご在住のみなさん、大変な時をお過ごしの事とお察し申し上げます。一日も早く、心安らかな日常が戻りますことをお祈り申し上げます。何もできなくてごめんなさい。



そして、久しぶりの更新なのに、気持ちいい記事じゃなくてごめんなさい( ´>ω<)人 

でもね、今回の休職から転職、不当解雇に至るまでの気持ちを吐き出したかったので、許してください。法人等、特定されないような書き方をしているので、意味不明かも知れませんが、付き合ってやってもいいよ!っていう懐の広い方だけ読んでやってください。 

今は、だいぶ気持ちも落ち着き、前向きに進もうとは思ってますが、毎日そううまくはいかず…です。
あたたかいお心で、見守ってくださると嬉しいです。

よろしくお願いいたします。











 『鬱屈と言葉という名の凶器』 

だんだんと心を蝕んだのは、「こころない言葉」ではなく「何気ない言葉」。おそらく、その言葉を発した本人はさして何の意図もなく、もちろん傷つけるつもりもなく、半ば当然のことのように発したのだろう。でも、その「何気ない言葉」が少しずつ、少しずつ蓄積されて、やがて重荷になり、圧迫され、鎖で雁字搦めにされるかのように動けなくなった。 
それは、特定の誰かの言葉であると同時に、不特定多数の誰かでもあった。
それに拍車をかけたのは、特定の誰かから常に同じ言葉が繰り返されることで、だんだんと自分に対する不信がつのり自信がなくなっていった。自分が何をしたいのか、それをやることに何の意味があるのか、目的を見い出せなくなり、ついには自分を見失った。自信を失い、自分を見失ったあとは、自分で考えることも、決断することも出来なくなっていたように思う。

10数年、培ってきた自信はまるで雪崩のように一気に崩れさり、残骸しか残らなかった。まさに体がバラバラになり、思考がバラバラになった瓦礫だった。
瓦礫と化した自分は、自分自身だけでなく、これまでの自信も全て失ってしまい、言葉を発信することすら出来なくなっていた。
最初は、言葉を発することに躊躇い、そのうちに言葉を発することが出来なくなったのだ。
元々、話好きではないし、自分から話題にすることも少ない。でも、それとは別に「言葉が少ない」と必要以上に繰り返され煽られることで、余計に何でもないことも言葉で伝えることが苦しくなり、やがて伝えるべき的確な言葉が浮かばなくなり、言葉を発することが出来なくなっていた。
気づいたときには、何気ない雑談でさえ苦痛だった。 

そのときはすでに、自分の価値、自分の居場所、生きている意味が分からなくなっていた。完全に人としての道で迷子だったのだ。
ふと顔を上げてみれば、まわりには誰もいない。まるで濃霧の中に取り残されていて、一歩先に何があるのか分からずに、足を踏み出すことが出来ないような状態だった。そこで声を上げて、助けを求められたらよかったのだろう。しかし、言葉を発することが出来なくなっていた自分には、それが出来なかった。家族にすら、助けを求めることが出来なかった。

まるで孤独だった。 

濃霧の中に取り残されている…そう気づいた頃から、脳内での自傷行為が始まった。
それは、ありとあらゆる「自問自答」である。
当然ながら答えなど出るはずがない。誰かに答えを求めることが出来るわけもなく、誰かに話しかけることすら神経質になった。そのうちに何でもないようなことも問いかけられなくなり、話すことを避けるようになっていた。誰かにお願いすればいいようなことも、話すことが苦痛になったことで、自分でなんとかすればいいと自分だけで処理しようとしていた。 
本来なら、気にもとめない孤独は形を変えた。
「周囲から取り残された。孤独にされた。」という、まるで歪んだ感情なのだ。それだけではない。他人の目が異常に気になるようになり、全てが「自分の敵」のように見えてしまう。元々、余り他人を信用していなかったことも災いして、対人関係の悪化に拍車がかかった。仲間だという意識は薄れ、家族の繋がりも細い糸のように感じていたのだ。

 身体的にも自傷行為は止められず、皮膚を傷付けた。「痛い」という痛覚はあるし、これ以上やったらダメだと分かっているのに止められない。脳内での自問自答もそうだが、皮膚を傷付けるのも無意識だった。そして、それは一日中、延々と無意識の中で繰り返されるのだ。 
身体的な症状が出始めたのは、それから間もなくだったように思う。職場にいるだけなのに、異常なほど心拍数が上がる。誰かと話すだけで、その心拍数は更に上昇し、嫌な汗が止まらなかった。
特に酷かったのは、特定の誰かに近づいたり、視線を合わせたり、話をするだけで手先が冷たくなり、震えが止まらなくなった。さらには、元々ある偏頭痛が毎日のように続き、自分の機動力を下げる。
どんなに痛み止めに頼っても、痛みは改善されない。結果的に必要以上に痛み止めに頼っていた。完全なる過剰摂取の状態。過剰摂取することで、処方されている薬は当然足りなくなり、近くの病院で「なくした」と言っては、処方してもらっていた。また、理由も分からずに、毎日毎日、続く微熱。常に体は「痛い」「怠い」「重い」状態。夜もまともに寝られず、1時間毎に目覚め、2時以降は決まって眠れなかった。1日の睡眠時間は、僅か数時間。
そして、突然聞こえがおかしくなった左耳。まるで、水の中にいるような感覚で、音がぼやけて聞こえた。最初はすぐに治るだろうと軽く受け止めていたが、何日経っても治らず、うっかりすれば僅か数m先の目の前にいる人物との会話も怪しいくらいに、明らかに聞こえが悪くなっていた。はっきりと自覚したのは、テレビの音量だった。今まで聞こえていたはずの音量では聞こえず、気づけば音量を上げていた。耳鼻科で検査すると、やはり右耳とは聞こえている領域が違いすぎた。突発性難聴を発症したのだ。
右耳も決していいわけではない。電話などは必ず左耳で聞くようにしていたくらい、ボーダーライン上の数値なのだ。それ故に左耳が全ての音を拾ってきた。こんな状況で、左耳まで音を拾えなくなるなんて想像することすら恐ろしい。
色々な不具合が偶然なのか必然なのか重なり合い、体も心もまさに、バラバラの瓦礫だったように思う。全てがうまくいかなかった。 

仕事が嫌なわけじゃないし、やりたいこともある。だけど、機動力の低下した体を引き摺って仕事をしても、思うようには動けないし、すでに低下した思考回路を再起動することもできない。そんな中で、サボっているとかやる気がないとか、そう見られていることに耐えられなかった。いや、そんなことを思われているかどうかが問題ではなく、そう思われているという考えに囚われていたのだ。

 以前、保育園に勤めた10数年間の私を知る人には、今の私の状態が奇異に映ったことだろう。複数担任のクラス責任者まで務め、作品展の指揮を取った。運動会や発表会での遊戯やオペレッタ等の演技にも好評を得た。毎日、笑いの絶えないクラスだった。
しかし、今はその時の自分とは似ても似つかないほど、あの頃、元気に笑っていたその陰もなく、覇気も笑顔も技術も何もかもなくしていた。
それが、周囲の評価の全てだった。

あの時、あんなに頑張ったのに、理解もされず、認められることすらなく、すでに空っぽだった。私はどこへ向かっていたのだろう。 

 「鬱です」

 その一言を誰にも伝えられなかった。
空っぽになっても、仕事を失えない。家族を失えない。もう、自分では何も決断できないのに、考えるのはそんなことばかり。自分を救う術もなかった。
人との関係を極力断ち切り、籠ることが精一杯だった。
 しかし、いつしか言動がおかしいことに回りは気付き始める。意を決して話し出せば、堰を切ったように涙と共にこれまでの思いは止まることなく溢れた。
ラクをしているわけじゃない、体が思うように動かない、思考力が低下している、決断することができない、意見を言いたくても言葉が出てこない。自分なりに一生懸命やろうと思ってる。以前のように笑って、元気に仕事がしたい。だけど、周囲からはサボってる、ラクをしてる、怠けてる…そうにしか捉えて貰えない。溝を埋めたいのに、どんどんとその溝が深まり、もう、どうしていいか分からない。
自分がどこにいるのかさえ分からない。

 「私を返して!」

 誰がこの言葉を受け止めてくれると言うのだろう。
 誰がこの言うことの効かない体を受け止めてくれると言うのだろう。 
誰がこの痛みを理解してくれると言うのだろう。 
誰が笑顔を失くした意味を理解してくれると言うのだろう。 

そう、誰もいない。他人には他人の痛みも苦しみも理解できないのだ。それは、自分にしか分からないことだから。だからこそ、ぐるぐると黒い濃霧が自分を取り巻き、全ての言葉が鋭利に突き刺さった。一度突き刺さったその言葉は、心の奥底まで達し、いつまでも自分を苦しめるだけの材料でしかなかったのだ。
もう十分。これ以上、何をすればいいと言うのだろう。
もう何も考えられない。明日が来ることすら、想像できなかった。 

見上げるのは、無機質な何もない天井。
今日もまた、生きている。それは、喜びでも安堵でもなく、「絶望」そのものだった。何もしなくても、痛みに疼く傷。体と心が離れ離れになったまま、また朝がやって来た。
どうしたら、自分を消せるのだろう。なぜ、今日もまだ生きているのだろう。消えることができたなら、どんなにラクだっただろうか…。だけどそれすら許されない。こんなにバラバラと瓦礫にまでなった心を抱えて、どこへ向かえばいいと言うのか…。

どんなに時間が経っても、自分の行く道は見えない。それでも、落ち着いていられる時間は次第に増えた。 

なんとか躓きながらも、うろうろと出口を求めて濃霧の中を彷徨い、どこからか光が漏れているような気配を感じ、誰かが自分を呼ぶ声が聞こえ、恐る恐る近づいて行こうとする自分がいた。
まだ、自分を呼んでくれる人がいる…もしかしたら、もう少し頑張れるのかも知れない…。環境が変わったら、この濃霧から抜け出せるのかも知れない…。
そんな僅かな期待が頭を擡げ始めた時だった。 

しかし、それも僅か1ヵ月足らずで踏み躙られることになる。ようやく僅かな光を求め、立ち上がろうとした矢先のことだった。まるで、春を感じて地中からようやく芽吹いた若葉を容赦なく、無残に踏みつけ、毟り取るような行為にさえ感じられた。数年前の見解の相違が生み出した憎悪は形を変え、攻撃の道具となり、私に死刑宣告をする死神と化したのだ。人間という道中で迷子になり、濃霧に巻かれ、踏み出すことを躊躇うほどに傷ついた。だが、そこから這い上がろうと必死にもがき、ようやく濃霧の先にある崖の上に片手を掛けたその手を、容赦なく踏み付け、何の躊躇いもなく蹴落とした。 
声を挙げる間もない、一瞬の出来事。
本来なら、黒い濃霧の中から導き出す役目を担わなくてはならないはずの導師は、巨大な鎌を構えた死神と化して再び眼前に現れたのだ。他者の罪も全て背負い、自分が退くことがこの道の最良だとした判断は、無碍に扱われた。導師の両眼が本物ではなかった証を、再び認識することになったのだ。そして、それを止める鵜飼もいなかった。 
ようやく光を感じられる場所へ、意を決して辿り着こうと歩を進めたばかりだったのに。違う認識は時を経ても生命を奪う。絶望は、再び不敵な笑みを浮かべて後ろに立ち、その両手で突き落とされた。そして、また黒い濃霧の中に押し戻された。 

「言葉」というものが、こんなにも鋭利な凶器であるとは思わなかった。今もあの時も…。
今は、ただただ「言葉」を発することが怖い。どんなふうに捉えられるのだろうかと考えるだけで、「言葉」は自分の中に飲み込まれ、やがて掠れて消えてしまう。
それが今も続き、ただひたすらに沈黙を守ることしかできない。

そして、日常生活の中の些細な「言葉」が突き刺さる。何でもないような、何気ない日常会話ですら…である。僅かな「言葉」の端が、自分を責め立てるように感じてしまうのだ。

いつまでこの状態が続くのか…。
「言葉」の呪縛から抜け出せる日は来るのだろうか。 

春を感じて芽吹く若葉を、眩しく見つめる日は来るのだろうか。 

 今もまだ、黒い濃霧に包まれた中に私はいる。 

そして、引き摺る十字架には無数の人々が群がり、私を責め立てるように何かを叫んでいる。

歪んだ声色で…。
スポンサーサイト
2014-07-06 21:02 | カテゴリ:日常
壁|ω・*)コソッ……こんばんは!

いやぁ、なんだかんだと毎日忙しくさせていただいとります。ゆんでございますヽ(*´∀`)ノ
最近は結構、体調もよくて暑いわりには過ごしやすい日を送ってます~。はい。
お出かけしても、ぐったり感が少ないのが嬉しいですね(*>`ω´<*)

今日、やって参りましたのは、わが家の長女*花ちゃんが初めてパイプオルガンのコンサートに出ると言うので、行ってまいりました(*゚▽゚ノノ゙☆パチパチ



秋葉原にある神田教会が今回の会場です。
パイプオルガンがある場所ってサントリーホールとか、東京芸術劇場とか大きいところがほとんどで会場も限られてるから、やっぱり教会が会場になったりしますよね。
教会でコンサート。
それはもぅ、ハイヲタ的に夢のような響きですよね。(*´∀`*) .。oO(いつかまた教会ライブしてくれないかなぁ…。)

さてさて、話は戻って。
花ちゃんはこの春、めでたく某大学の音楽学部パイプオルガン専攻に進学したんでした。



それはそれは、桜が見事なくらい満開の日。
上の写真が大学の門のところで、入学式の日に撮った桜の写真です。

花ちゃんはもともと、バレエを幼稚園の頃から習っていたんですが、中学2年生のときに体調を崩してしまって、メンタル的にも追い詰められてるような状態が続いていたので、しばらくバレエを休もうっていう決断をしたんです。でも、“バレエを休む”っていうことは、結果的に辞めるようなもので、花ちゃんもバレエのレッスンに戻ることはありませんでした。
その代わり、家にあったピアノに没頭するようになって、そこからは“のだめ”そのもの。
ピアノをはじめて半年で、ハワイの教会で伴奏デビューも。
でも、花ちゃんは音楽学部に行くと決めるまで実は、本格的にピアノを習ったことがなかったんです。最初はゆんさんが教えたりもしつつ、学校の音楽の先生に習う程度。ピアノを本格的に習い始めたのは高校2年生になってからでした。
進学したいと決めた大学のピアノの先生について約1年半。パイプオルガンは花ちゃんの中学・高校にあったのでそこで毎年行われる講習会に年2回参加しつつ、やはり大学のパイプオルガンの先生について約1年半。
遅すぎるにも程がある遅すぎるスタートだったので、入学したところでやっていけるんだろうか…っていう不安は最大限。
でも、やるからには精一杯やって欲しい。
今までバレエで、色々と大きな舞台を経験してるから、度胸だけは人一倍あるハズ!

それでは、聴いていただきましょう!花ちゃんで、J.S バッハ 前奏曲とフーガ ハ短調 BWV549です。

……ビデオ撮りたかったんですが、撮れないんですよ(´A`。)グス

感想を言いますとね、1音目からびっくりしました。
パイプオルガンは、手鍵盤と足鍵盤があるんですけど、この曲は足鍵盤から始まるんですね!
すっごい重厚で、荘厳な音の連続に驚くばかりでした。音だけの問題なのか、花ちゃんの演奏によるものなのか…。
親心としては、(音が)転ばずに最後まで演奏できるといいな…と。久々の花ちゃんの舞台にドキドキでした(;´Д`q)
なにしろ、小さい頃からピアノを習ってきた人達に比べれば、経験が足りないのは分かっているからこその緊張。
だけど、そんなことは関係ないくらいに花ちゃんの演奏は見事なものでした。まだまだ演奏家への道は遠い道のりなんだろうけど、全身から溢れ落ちていくような一音一音が、本当に素晴らしかった。
「のだめカンタービレ」で、のだめがピアノを弾くと.☆.。.:.+*:゚+。 .゚・*..☆.。.:*・°.←こんなのが舞ったりするでしょ?まさにあんな感じで、見上げた先(神田教会のパイプオルガンは教会上段にあります)から音符の一音一音がキレイに舞って見えるようでした。
花ちゃんは卒業した母校でパイプオルガンを弾くために教職課程もとってるんだけど、こんな音を聴かされると、純粋に演奏家になって欲しいなとも思ってしまいます…。
もちろん、演奏家人口が少ないとはいえ、実際に演奏家になるには厳しい道のりであることは分かっているんだけど。なんだか、このまま教職をとって田舎の学校におさまってしまうにはもったいなくて…。可能なら、世界をみてきて欲しいな…なんて。
思わず、壮大な夢を描いてしまいそうな母でした。
全ての演奏が終わったあと、出演者がご挨拶。妙に舞台慣れしてる花ちゃんは、その場を仕切るお役目も頂戴していたようで、さすがだなと(笑)

そんな花ちゃんのコンサート第2弾が早くも8月2日にやってきます。
コチラ↓



出演者のほかっていうところに入っております。はい。
なんだかんだ言いつつ、まだまだほか扱いです(^ヮ^) アハハ

おはなしオルガン“ロバの王子”
8月2日(土) 習志野文化ホール
13:30開場 14:00開演
¥1,200(Lコード:35965)


ローチケとかでチケットの取り扱いがあるようです。
お話と映像(絵本)がメインらしいですが、お子様向けにパイプオルガンの体験もチョロっとできるようなので、お近くの方、おひまな方、足を運んでみてください。
よろしくお願いします(*´Д`人)

ゆんさんも習志野まで行く予定です。
花ちゃんの出番は少ないけど…。

いつか、はいどちゃんがおじいちゃんになって、また教会でライブやりたいな~。パイプオルガンあるといいなぁ~。ってときに、名前がリストに挙がるくらいには本物になって欲しいな…なんて思います。
遠い、遠い道のりだろうけど、その道はまだ始まったばかり。
ゆんさんは、道端の四葉のクローバーでも探しながら、花ちゃんを応援していこうと思います。







コメント等のお返事は後ほどさせて頂きますね。
2014-06-30 00:06 | カテゴリ:日常
今日は、気持ちのいい話ではありませんので、これより下へは自己責任でお願いいたします。





























6月14日、13時10分 父が天に召されました。

戸籍上、生物学的上には父親ですが、長い間、事実上の母子家庭だったので、父親とのこれといった思い出は何もありません。
だから、母親から父親が危篤だと知らされた時にも特に何の感情もありませんでした。
実際、父親と会ったのも3~4年ぶりでしたし。
何かあるとしたら、万が一の時には葬儀には出て欲しいと言われていたので、めんどくさいことはイヤだなというのが本音。
随分、薄情なことを言うなと思うかも知れませんが、本当に夫としても父親としても甲斐性のない人だった…としか言いようがないのです。
ただ、父親の人生を考えると、そうなっても仕方のない要素が幼い頃からあったんですよね。
もしかしたら、父親は私や弟にどう、接していいのか分からなかったのかも知れません。
母親の愛も知らずに、父親も知らずに育ち、あまり家庭にも恵まれず育った父親…。
でも、当時の私達にはそんな父親の側面を知ることなんてできませんでした。

私は、人が生まれてくるには必ず意味があるとずっと信じてます。だって、生まれてくることがもうすでに奇跡なんでしょ。だとしたら、そこには意味がなかったら、なんのために生きているのか…。
最大限の皮肉を込めて書いたはずの喪主挨拶は、皮肉なんかじゃなく、父親が家庭を持ってからずっと追いかけ続けたテーマだったんじゃないかと、今は思います。
その一文を少し。

私は、人と人の出会いにはなにがしかの意味があり、人として何らかの役割を担ってこの世に生を受け、その役割を全うしてこの世を去るのだと信じています。父の役割はなんだったのだろうと、そのことに想いを馳せるとき、それは間違いなく私達に「家族とはどうあるべきか」ということを自らの人生を以って知らしめる役割を担っていたのだと確信しています。私達は父の存在により、家族のあるべき姿をそれぞれが考え、家族の大切さに気付き、絆を深めてきたのだと思っています。当たり前のことに気付かないことが多くなっているこの時代に、当たり前のことに立ち止まり、考える時間を与えてくれた父に最大限の感謝を捧げます。

最後のお別れの時間に、母親が父親の目頭が濡れていることに気付きました。
「まさか涙じゃないよね…」という母親だったけど、確かに、亡くなった直後よりも表情が和らいでいるような気がしたんだよね。それが、涙だとしてもおかしくないくらいに。

葬儀が終わって、父親の人生は幸せだったんだろうかと思うことも…。

そんなある日、今まで父親の夢なんてこれっぽっちも見たことなかったのに、夢を見たんだよね。
よく晴れた日、多分、遊び仲間だろう人と一緒に並んで実家近くで笑ってる父親の夢。そのあと、鳥居みたいなところをくぐって歩いていく父親の姿を自分が見てるんだけど、失ったはずの左足には義足でもついてるのか、杖をつきながらゆっくりと歩いて行った。
そのあと、そんな夢を見て自分でもびっくりしたのか、飛び起きたんだよね。

父親の人生は幸せだったんだろうか…。
私にはこの答えを知ることはできないけど、あの夢で笑ってる父親がいたことを思うと、なにかひとつくらいは幸せなことがあったんじゃないかな…と思いたい。

それから、やっぱり父親の役目は「家族の大切さ」を私達に身を以って教えたんだろうと思う。








ありがとう。

ばいばい。
2013-12-28 10:51 | カテゴリ:日常
花ちゃんが、大学に合格しました。


天使くんのときとは違うのは、“ようやく”と言うこと。
今日までの道のりは長かった...。
少し、ホッとしています。


天使くんとは年子で生まれた花ちゃん。
実は授かった直後から切迫流産、切迫早産の危機にみまわれながら、何度も入退院を繰り返して、それでも予定日より1ヵ月早く生まれた子でした。

最後の入院は、(ダωナ)が肺気胸で入院してた時。ちょうど、外科と産婦人科の病棟が相向かいで、窓越しに会話してたと言う、どこのドラマなんだっていうシュチュエーション。
お互いの病棟の看護師の間では、「あの子達、夫婦なんだって!」と話題になってのも、もはや黒歴史...。

入院中は、ウテメリンを24時間点滴されてたせいか、陣痛がきても微弱でどうしようもない。
この日の病棟勤務のドクターは、研修医あがりの若造で、マニュアルどうり陣痛促進剤を投与したものの、胎児の心拍が急低下。
それに気付いたのは傍にいた看護師長さんで、「外来にいる医長と小児科呼んできて!」と一瞬にして戦場になったのは言うまでもない話。
そこからは、あれよあれよと言う間に分娩室に運ばれ、いきみたくないのにいきめ!の司令が下り、呼び戻された医長は私の上に乗っかってお腹を押し、助産師の資格持ってる看護師長はまだ胎内にいる子の頭をつかみに行って、生んだと言うより、引きずり出された花ちゃん。
でも、その看護師長のおかげで、無事何事もなく生まれてこられた花ちゃん。
ただ、その場に看護実習してた中学時代の同級生がいた事を後日知ることになるのだけど...。

そんな紆余曲折あって生まれた花ちゃんは、ホントにマイペースそのもの。
トトロが大好きで、自分はメイちゃんのつもりなのか、広い庭を毎日トトロ探しに夢中になってたね。

でも、なかなか言葉を発せず、2歳になっても「パパ」「ママ」「トトロ」「どこ」「いた」「ない」程度。
本気で心配したけど、幼稚園入園と同時にベラベラ喋りだして、お喋り花ちゃんに変身。
家族の誰もが「ホントは喋れたの?」ってびっくりしてたよね。
今まで、いちばん赤ちゃんだった花ちゃんは、幼稚園でお手伝いとお世話を覚えて、一気にお姉さんらしくなったんだったね。

そして、始めたバレエ。
ホントに長い道のりだった。
小学校4年生でポアントをもらって、ソリストになったのは中学1年生。
なかなか思うように踊れず、円形脱毛症になったこともあったよね。
体調もままならないようになって、中学2年生の時、この発表会で一区切りつけようと臨んだドン・キホーテ。
練習につぐ練習で、やっぱり本番の出来は満足いくものではなかったけど、涙が止まらなかった。

そう言えば、中学受験の時も休まずにバレエだけは通ったよね。
ホントによく頑張ったと思う。

それから「生きてることが幸せなんだよ」なんて、悟りを開いたようなことを口にした花ちゃんは、もうピアノを弾いてたね。

ピアノを始めて半年ほどで、ハワイの教会で伴奏デビュー。
その後も、数いるピアノ経験者を差し置いて、伴奏者や奏楽者に選ばれることがあって、思わぬ才能に驚くばかり。

この秋には、たくさんの仲間に囲まれて洗礼も受け、旅立ちの準備を始めてたんでした。

*洗礼式で頂いたお花*

そして、某音大パイプオルガン専攻 合格というクリスマスプレゼント。

家では、ピアノばっかり弾いて、まるで“のだめ”のような子。
神経質な天使くんとは真逆で、いつも兄妹喧嘩は花ちゃんの適当さと天使くんの神経質が原因だった。


天使くんと同じように、L'Arc-en-Cielを聴いて育ち、子守り歌はL'Arc-en-Cielのガラス玉で育て、初ライブもL'Arc-en-Cielなのに、全く興味なし...。
未だにメンバーの名前すら危うい...。
ちなみに、hydeは「ひで」、けんちゃんは「タバコの人」、てっちゃんは「バナナ投げる人」、ゆっきーは「パパの好きな人」と呼ぶ始末。
はいどちゃんに関しては、ある意味間違ってないけど、hideと若干間違えてる感が否めない...。

でもね、L'Arc-en-Cielの音楽自体には興味ないものの、HYDE詞を意外にも深い推測と考察で読み解く力は、ハイヲタ顔負け。
HYDEのことを「この人、神様信じてないのにね」とさらっと揶揄したのも花ちゃん。

そんな花ちゃんに今、望むことは
「HYDEが認める演奏家になって欲しい」
と言うこと。
つまり、本物になって欲しいと言うことです。

もし、いつか、HYDEがパイプオルガンを所望した時に、そのリストに名前が挙がるくらいになっていてくれたらなと思います。

天使くんの時と違って、花ちゃんの旅立ちに寂しさはありません。
もちろん、一緒に暮らせないのは寂しいけど、今は力強く歩んで欲しいという思いだけ。
よく、母親は女の子の旅立ちに、自分も歩いてきた道だから、と言う人がいますが、まさにそうなのかも知れません。
むしろ、(ダωナ)のほうが今にも泣きたい気持ちなのかな?

花ちゃんの本名には、日が輝くほうを向いて花のように華やかに歩んで欲しいという意味が込められています。
今、思うとバレエにしろ、ピアノにしろ、ステージで輝ける人なのかも知れません。

パイプオルガン、その演奏者人口は少ないけれど、本物にたどり着くには狭き門です。

どうか、花ちゃんの歩む道が華やかな輝きに満たされていますように†

花ちゃんの上にいつまでも幸せがありますように†

変な男に引っかかりませんように†

そして、離れてもいつまでも家族です。どうか、天使くんとも仲良くいてください。



この命が尽きるその時まで祈っています。
2013-03-02 00:44 | カテゴリ:日常
今日は天使くんの卒業式でした。

6年間の集大成の日。

思い返せば、10代で天使くんを授かり、ただ可愛くいい子に育つようにと願って育てて来ました。

初めての旅立ちだった幼稚園の卒園式。
大好きな“みさとちゃん”とお別れするのが辛くて、「思い出のアルバム」という曲を歌うことを必死に拒んだあの日。
「みさとちゃんの行く小学校が見たい。」と言って、わざわざ見に行ったこともあったよね。
みさとちゃんに「一緒にお写真撮ろう!」って言えなくて、「ママが言って!」と半泣きだった天使くん。

小学校の卒業式、お友達が地元の公立校に進学する中、地元を離れてひとり私立校に進学することを心細く思ったりしないだろうか?と不安に思う親の気持ちとは裏腹に、希望に満ちた表情を見せていた天使くん。
子どもって親が思うほど弱くはない、意外と強くて、しっかりしてるんだなぁと学んだあの日。

中学は、実は卒業式ではなく、「前期課程修了式」だったんだよね。
天使くん、中学は今の学校ではない中高一貫校だった。日本版アメリカンスクールのような中学へ通っていたんだけど、生徒の募集停止に伴って、進路変更を余儀なくさせられた。
高校から系列校へ行くか、外部の高校へ行くか。残るっていう選択もできなくはなかったけど、実質ムリだった。勿論、できることはやったし、色々な提案もした。だけど、結局帰ってきた答えは変えることのできないもの。
高校受験は、するはずのないものだったにもかかわらず、天使くんは腐ることなく、自分の将来を真剣に考え抜いて答えを出した。
ずっと一緒にいるはずだった仲間との別れ。もう、二度と訪れることのできない学校や先生との別れ。
15歳にして、誰も経験しなくてもいいような経験をして、高校は入学というより、編入だった天使くん。
何より個々の可能を大切に育ててくれる学校をと思った親の考えと天使くんの進路選択の結果、花ちゃんと同じ学校に通うことになったんだったね。
思いの外、学校に馴染んで中学から通ってたように自然に、自由に、おおらかに過ごした3年間。
その6年間の集大成でした。
お友達に囲まれて笑う天使くんが眩しくて、この日を迎えられたことが本当に嬉しかったです。

これからの道はきっと、荊の道。
思わぬところで傷付いたり、思うように進むことができないかも知れない。
それでも、この18年。
天使くんなりに困難を乗り越えて来たんだから、きっと輝く未来へたどり着くことができると信じてます。
4月には新たな道へ旅立つ天使くん。
もう、これで一緒に暮らせるのは最後です。
帰って来ることは考えずに、ただただ自分の信じる道を進んでください。
大きくどこまでも羽ばたいて行けますように。



いつまでも心だけは、あなたのそばに。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。